ああ壊れている
ああ壊れゆく 壊れている
ラジオ「百器徒然袋・風」雲外鏡
この役、佐々木蔵之介さんは楽しんで演じているのでしょう、たぶん。佐々木蔵之介さんファンの端くれとして それはそれとして単独では愉しいこと。
がしかし、京極夏彦ファンとしては、これはないぞとげっそり。ことば大切に使って下さい。話の大きい流れは 変わってはいないのでしょうが、こんなに暴走してよいのか!進行のために益田・榎木津に話させすぎ。榎木津礼二郎 壊れすぎ。今までも確かに 原作以上でいたけれど、今回はひどい。
榎木津が 対決の前に神無月にコメントする話じゃないでしょ!周りが必死になって連絡を試みるけど、途中出てこないで最後の最後に出てくる話でしょ。いくら変えるにしたって、直接コメントさせるなんて。『来週こばかにするんでしょ』 て先入観はいるじゃないですか。
脚本にうわぁーと思いつつ、声の主には拍手(よくぞここまで壊れた と。)と相反した気分でいました。
今までは 進行させるためと 長さの調整の必要、 音声でのドラマとしての脚色上 仕方ないこともある、本とは別と思ってました。が今回は納得しきれません。
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コメント
そうだよね、コメント書いているうちに思いました。僕こと本島に京極堂から聞いたと薀蓄語らせて、榎木津は対決することを了承するだけでいいはずだったんだよね。
「その面白いやつにあってやろうじゃないか」位言って。
何故直接 京極堂や益田が原作で、榎木津がいいそうなセリフと想像していた言葉を口にさせるのか。コメントなしじゃないとどんなふうに対決するのか、が楽しみにならないじゃないですか。
言葉に神経つかって、デザイン的なことまで施している原作なのに。いっそ表現 原案にして。
投稿: Okkake | 2007年2月20日 (火) 04時33分
ついたトラックバック、削除したあと、コメント記載しています。刺殺の記事のトラックバック。刺したいほど、ってことでしょうか。偶然かご存知でなのか「雲外鏡」は刺殺事件が扱われています。記事にも関連することですしここは 『百器徒然袋・風・雲外鏡』の作中 京極堂こと中禅寺秋彦が、榎木津礼二郎と神無月鏡太郎を語るくだりの引用をアップしておきます。
“「どうも神無月と云う男は、自分の価値観でしか他人を計れない度量の狭い男のようですね。自分が好きな物は他人も好きだろう、自分が嬉しいことは他人も嬉しいだろうと、そう固く思い込んでいる。自分の基準は絶対だと信じ切っていて、それを疑うことをしないんですね。だから自分が厭なこと、自分が困ることを基準にして計画を練ったのでしょうが―どうもないですね。(中略)あれ(榎木津)の基準は」面白いかどうかでしょうと中禅寺は云った。”
お断り ()内はOKKAKEが加筆しています。
百器徒然袋 風 雲外鏡 講談社ノベル P310より
投稿: Okkake | 2007年2月19日 (月) 10時54分